はじめに:世界一の投資家も最初は「普通の青年」だった
ウォーレン・バフェットと言えば、世界有数の大富豪であり、長期投資の代名詞的存在です。しかし、今でこそ「オマハの賢人」と呼ばれる彼も、若い頃はごく普通の青年でした。本記事では、彼が若い頃にどのように投資や資産形成を行っていたのか、その原点をわかりやすく、かつ徹底的に解説します。
1. バフェットの「最初のビジネス」は11歳から始まっていた
バフェットが最初に株式を購入したのは、なんと11歳のとき。姉と一緒にCities Service Preferred(シティーズ・サービス)という株を1株38ドルで購入します。
このとき、株価は一時30ドルまで下がりますが、彼は辛抱して40ドルで売却。利益は得たものの、その後株価は60ドルまで上がり、「早く売りすぎた」という教訓を得ました。
この経験が、彼の“長期保有”の投資哲学の原点となったのです。
2. 投資の師・ベンジャミン・グレアムとの出会い
大学卒業後、バフェットはコロンビア大学大学院で伝説の投資家ベンジャミン・グレアムの下で学びます。
この出会いが彼の投資スタイルに決定的な影響を与えました。
グレアムは「割安株を買って市場が気づくまで待つ」という“バリュー投資”を提唱しており、バフェットはこれを忠実に実践します。
初期のバフェットは、財務状況が健全で市場から過小評価されている企業を徹底的に分析して投資していました。
3. 若き日のバフェットは、”手を動かす”ビジネスマンだった
資産運用と並行して、バフェットは新聞配達・ピンボール機ビジネス・農地投資なども実践しています。
- 新聞配達で得た収入は、貯金や株式購入に充てていた
- 友人と組んでピンボール機を設置し、不労所得を得た
- 高校時代には農地への投資も行い、地代収入を得ていた
つまり、株だけに頼らず、実業にも関心を持っていたということです。これも、彼が後にバークシャー・ハサウェイで複数事業を統合運営していく基盤となりました。
4. 初めての「投資パートナーシップ」設立(26歳)
26歳の時、バフェットはバフェット・パートナーシップ社を設立します。これは、彼の知人や親族から資金を募って投資運用する形態で、いわば「小さなファンド」です。
このときの彼の原則は:
- 自分の資産も必ず投資に入れる(=「同じ船に乗る」)
- 損失が出たら自分がまず被る
- 年間6%を超える利益分だけ成功報酬を受け取る
この誠実なスタンスが評価され、パートナーは次第に増えていきました。
5. 初期の投資成功事例:アメリカン・エクスプレス、ディズニー
1960年代前半、バフェットは当時スキャンダルに見舞われていたアメリカン・エクスプレス株に大量投資します。当時は誰もが避けていましたが、彼は「ブランド価値」と「キャッシュフロー」に注目し、投資。これが大成功します。
同じく、ディズニーがまだ時価総額数千万ドルだった時代にも投資。これも後に巨大なリターンをもたらしました。
6. 若きバフェットが学んだ教訓とは?
彼の若き日の投資から学べることは非常に多くありますが、要点は以下の通りです:
- 早すぎる売却の後悔から「長期投資」の価値を学んだ
- バリュー投資の原則を徹底して守った
- 他人の資金を預かる際の「誠実な運用姿勢」
- “本質的価値”を見る目を養い、時に逆張りを恐れなかった
まとめ:最初から天才だったわけではない。だからこそ参考になる
ウォーレン・バフェットの若き日は、「地道な分析」「誠実な姿勢」「継続的な学び」が支えていました。
私たちも、彼のように**「今、できることを積み重ねる」**ことで、将来の大きな果実を得る可能性があります。
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